野口 明

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 野口明(セネタース、大洋・西鉄、阪急、名古屋・中日)は、4人兄弟全員がプロ野球選手という史上稀なる「野口四兄弟」の長兄である。4人兄弟選手はこの他に400勝投手・金田正一を長兄とする「金田四兄弟」がいるだけだ。
 8人兄弟姉妹の長男として誕生した明は、名古屋市内の八熊小学校に進んでから野球を始め、のちに中京商とプロ野球で顔を合わせる鬼頭数雄の球を受けていた。鬼頭と明のバッテリーは、全国少年野球大会に出場するなど当時の名古屋地区の少年野球界に於るヒーローで、弟の二郎、昇(のぼる)、渉(わたる)も憧憬の念を抱いていた。
「兄貴は子供の頃から頭も良かったし、優秀だった。もちろん、野球が盛んな土地ということもあったけど、小さい時からボールを持って遊んだのは、やはり面倒見のよかった兄貴の影響だった」と二郎。投手でプロ通算237勝を記録した二郎も野球を始めた当初は明と同じ捕手だった。
 明は、中京商から明大を経て、昭和11年にプロ野球のセネタースへ入団。明大で投手に転向しており、テンポのいい短いモーションから手首を利かせた快速球を投げ、巨人の沢村栄治や阪急の北井正雄と並んでプロ野球草創期を代表する投手に数えられた。
 昭和13年1月、野砲兵第3連隊第4中隊に入営し、昭和17年1月に復員。二郎がいた大洋へ入団した。大洋は入営前に所属していたセネタースが金鯱との合併で結成された球団だった。軍隊生活で往時の快速球は見る影もなく失われ、やむなく投手を断念して一塁手に転じたが、時おり捕手を務めて二郎とプロ野球史上初の兄弟バッテリーを組んだことがあった。また、同時期に次弟の昇が阪神に所属し、投手・二郎、捕手・明、打者・昇による珍しい3兄弟対決も見られた。
 戦後は専ら一塁を守っていたが、昭和24年に中日へ移籍すると再び捕手に返り咲き、若い投手の指南役となった。サインは直球とカーブだけという投手の自主性に任せた独特のインサイドワーク。新人だった「フォークボールの神様」こと杉下茂は「野口さんのおかげで、どれだけ自分が勉強させてもらったか、計りしれない」と語る。
 最後に余談を一つ。明は、昭和8年の「中京商対明石中延長25回」に中京商の8番捕手、昭和17年の「大洋対名古屋延長28回」に大洋の5番一塁手として、それぞれフル出場している。甲子園大会とプロ野球の〝最長イニングス試合〟に出場した経験を持つ唯一の選手であった。 (終)

大正6年8月6日生まれ
中京商-明大-セネタース-大洋・西鉄-阪急-名古屋・中日
打点王1回(昭和18年)最多勝1回(昭和12年秋)ベストナイン2回(昭和26年・27年)

テーマ:プロ野球 - ジャンル:スポーツ

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Author:大道 駄文

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